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最高裁判所第二小法廷 昭和59年(あ)555号 決定

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人渡辺良夫の上告趣意は、憲法三一条、三二条違反をいう点を含め、その実質はすべて単なる法令違反、事実誤認、量刑不当の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

なお、原判決の是認する第一審判決の認定によれば、被告人は、行使の目的をもって、ほしいままに、第一審判決判示の古口営林署長の記名押印がある売買契約書二通の各売買代金欄等の記載に改ざんを施すなどしたうえ、これらを複写機械で複写する方法により、あたかも真正な右各売買契約書を原形どおりに正確に複写したかのような形式、外観を有するコピー二通を作成したというのであるところ、これらコピーは、原本と同様の社会的機能と信用性を有すると認められるから、被告人の右各所為は、いずれも刑法一五五条一項の有印公文書偽造罪に当たると解するのが相当である(最高裁昭和五〇年(あ)第一九二四号同五一年四月三〇日第二小法廷判決・刑集三〇巻三号四五三頁、同昭和五三年(あ)第七一九号同五四年五月三〇日第一小法廷決定・刑集三三巻四号三二四頁、同昭和五七年(あ)第四五九号同五八年二月二五日第三小法廷決定・刑集三七巻一号一頁各参照)。第一審判決は、被告人の右各所為はいずれも同条二項の有印公文書変造罪に当たるとしているが、公文書の改ざんコピーを作成することは、たとえ、その改ざんが、公文書の原本自体になされたのであれば、未だ文書の変造の範ちゅうに属するとみられる程度にとどまっているとしても、原本とは別個の文書を作り出すのであるから、文書の変造ではなく、文書の偽造に当たるものと解すべきである。したがって、この点に関する第一審判決及びこれを是認した原判決は、刑法一五五条の解釈を誤ったものというべきであるが、有印公文書の偽造とその変造とは、その罪質及び法定刑を同じくし、その行使もともに同法一五八条一項に当たりその法定刑も同じであるから、右の誤りは、判決に影響を及ぼさない。

よって、刑訴法四一四条、三八六条一項三号により、主文のとおり決定する。

この決定は、裁判官島谷六郎の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

裁判官島谷六郎の反対意見は、次のとおりである。

私は、公文書の複写機械によるコピー(以下、単にコピーという。)が公文書偽造罪の客体になるとすることは誤りであり、多数意見の引用する当裁判所判例は変更されるべきものと思料する。すでに、最高裁昭和五三年(あ)第七一九号同五四年五月三〇日第一小法廷決定・刑集三三巻四号三二四頁において、団藤重光、戸田弘両裁判官が、そして、同昭和五七年(あ)第四五九号同五八年二月二五日第三小法廷決定・刑集三七巻一号一頁において、木戸口久治裁判官が、同旨の意見を述べておられ、私もこれらの意見を正しいと考えるものであり、これらに付加するものが多くあるわけではないが、以下、私の考えているところを明らかにしておきたい。

一  刑法一五五条にいう「公務所又ハ公務員ノ作ル可キ文書」が、公務所又は公務員が作成するべき文書それ自体を意味することは、文理上疑問の余地がない。公文書のコピーは、一般に私人も自由に作ることができるのであり、私人が作ったコピーであるという了解のもとに使用される限り、そのコピーが「公務所又ハ公務員ノ作ル可キ」文書に当たらないことは明らかであるし、また、それは、あくまでも原本である公文書の存在及び内容の証明手段にすぎず、そもそも文書偽造罪の「文書」にも当たらないと解すべきである。もとより、公文書の改ざんコピーの作成・使用が社会に甚だしい害悪を及ぼすものであることは十分にこれを認めることができるし、それ自体まさに犯罪として処罰されて然るべきものであるとは思料するが、立法措置によらないで、現行の刑法一五五条、一五八条によってこれを処罰しようとするのは、罪刑法定主義に反する拡張解釈であって、許されないことといわざるをえない。

二  しかも、有印公文書偽造、行使罪には、一年以上一〇年以下の懲役という相当重い刑が定められており、特にその下限が重いことから、これらの罪に係る事件は、法定合議事件とされ(裁判所法二六条二項二号)、権利保釈も認められない(刑訴法八九条一号)などの重大な取扱いを受けるのであるが、このような重い法定刑が、有印公文書の改ざんコピーの作成・行使についてもふさわしいといえるかは、甚だ疑問である。

昨今の複写機械の普及はめざましく、その利用度はますます増え、極めて利便の大きいものであるが、反面、コピーの作成過程において作為を施すこともまた遺憾ながら容易である。したがって、コピーのもつ危険性には十分な注意が払われるべきであって、これを原本と同一視するわけにはいかないのである。コピーはあくまでもコピーであって、原本ではない。そもそも公文書の原本が信用されるのは、相手方がその文書の作成者である公務所または公務員を信用するからであるが、そのコピーともなれば、私人も自由にこれを作成することができ、しかも誰が作成したのか不明の状態で行使されるのであるから、相手方はその行使者を信用する以外にないのであって、行使者の信用度如何がコピーの信用性に大きくかかわってくるのである。このように、両者には本質的な相違があるといわざるをえない。

したがって、公文書の改ざんコピーの作成については、それが犯罪とされるとしても、類型的にみて、原本自体の偽造・変造よりは、ある程度軽い刑罰評価がなされて然るべきであろう。これはまさに立法政策の問題であるが、改ざんコピーについても公文書偽造罪と全く同じ刑罰が法定されるべきかどうかについては、立法過程において十分な議論が尽くされるべきものである。しかし、刑法一五五条一項、一五八条の拡張解釈でまかなうとすれば、この点についての十分な議論もなしに、これらの規定が本来予想していたところよりも、違法・責任の程度が類型的に軽いとみるべき行為をも、重い処罰対象に取り込む結果になってしまい、この面からも明らかに不当な解釈というべきである。

三  更に、前記判例の理論を前提にすれば、多数意見のいうように、公文書の改ざんコピーの作成はすべて偽造であって、変造を認める余地はないということになろうが、公文書の原本の非本質的部分に作為を施してコピーを作成する行為は、実質的には変造と目すべきものである。偽造と変造とは、法定刑に変わりがないとはいえ、一般的には前者の方が犯情において重いと解されていることに照らし、改ざんコピーの作成をすべて偽造と解するというのは、妥当な帰結とはいえないであろう。このようなことになるのも、そもそも公文書のコピーが公文書偽造罪の客体になるとした出発点において、無理な拡張解釈を採用したからである。

このような観点からしても、改ざんコピーの処罰については、立法措置に委ねるべきものと考えるのである。

以上の次第で、原判決が是認する第一審判決が、有印公文書変造、同行使罪の成立を認めたことは、刑法一五五条、一五八条一項の解釈適用を誤ったものであって、この誤りは判決に影響を及ぼし、原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると思料する。

(裁判長裁判官 牧圭次 裁判官 島谷六郎 裁判官 藤島昭 裁判官 香川保一)

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